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宮崎地方裁判所 昭和40年(わ)90号 判決 1969年7月15日

主文

被告人らはいづれも無罪。

理由

第一、本件公訴事実は、

被告人森永達夫は国鉄動力車労働組合西部地方評議会事務局長、同山亀健蔵は、同組合大分地方本部執行委員長、森永靖夫は、同組合大分地方本部副執行委員長であるところ、被告人ら三名は同組合が日本国有鉄道(以下国鉄と略記する)当局に対し大幅賃上、合理化反対、最低賃金制確立、ILO条約八七号批准、スト権奪還等を目的として昭和四〇年三月一七日午前六時から二時間の時限ストライキを行つた際、同組合の主張を貫徹するため列車の運行を妨害しようと企て、同組合員約五〇〇名と共謀の上、同日午前六時二四分頃から午前七時一五分頃までの間、延岡市浜町五、四二六番地所在の国鉄南延岡機関区構内入出区四番線付近において、国鉄機関士竹内利雄(当四二年)及び機関助士後藤正司(当二八年)の両名が、鉄道公安職員の保護のもとに、C五、五二九機関車の出区発進のため、これに乗車しようとするに当り、右組合員等約五〇〇名と共に、右機関車の東西両側にスクラムを組んで立塞つてその乗降口を閉鎖し、且つ、「裏切者」と怒号し、又、掛声を発して気勢をあげ、更に、前後二回に亘り、右乗務員両名を保護しその進路を開くため右機関車東側にいる被告人ら、組合員を排除して、乗降口に向つて前進しようとした鉄道公安職員約一〇〇名の前面に立塞つてこれを押し返す等の方法により、右乗務員両名の乗車を妨げ、もつて多衆の威力を用いて国鉄の列車運行の業務を妨害したものである。

というものである。

第二、当裁判所の認定した事実

(一)  国鉄動力車労働組合の機構及び被告人らの身分関係

国鉄動力車労働組合(以下動力車労組あるいは単に組合と略称)は日本国有鉄道(以下国鉄あるいは当局と略称する)の動力車に関係ある者で組織された労働組合であつて、組合員の労働条件の維持改善を図り、経済的、社会的地位を向上し、運輸産業を通じて民主的国家経済の興隆に寄与することを目的とし、その組織は中央本部、地方本部、支部、地方評議会からなり、地方本部は各鉄道管理局及びこれに準ずる範囲毎に、支部は機関区、電車区、気動車区その他動力車に関係ある業務機関区毎に設け、決議機関は大会を最高決議機関とし、中央委員会がこれに次ぎ、中央執行委員会が大会と中央委員会の決議を執行することになつている。

昭和四〇年三月一七日当時被告人森永達夫は、同組合西部地方評議会事務局長であり、被告人山亀健蔵は、同組合大分地方本部執行委員長であり、被告人森永靖夫は、同副委員長であつた。

(二)  本件斗争に至るまでの経過

動力車労組は第一五回全国大会で、昭和三九年度運動方針のうち「生活を守る斗い」の中で大巾賃金引上げについての大綱を決定し、具体的には第四三回中央委員会及び職場討議の集約に基いて、昭和三九年一一月一二日動力車申第一四号を以つて(「昭和三九年一〇月一日以降の新賃金要求について」と題する書面による)国鉄総裁に対し、動力車労働者の賃金を次の如く改訂すること、なお要求に対する回答を昭和三九年一一月二〇日までに書面で行うよう要求した。即ち動力車労働者の賃金を一人平均七、〇〇〇円引上げること、高校卒の初任給を月額二万円とすること、年令別保障賃金を大巾に引上げること、臨時雇用員の賃金日額を七〇〇円とし、最低賃金を一万六、〇〇〇円とすること、同時にこれらの改訂実施期日は昭和三九年一〇月一日とすることである。

しかしながら国鉄当局側は、右期日まで何等の回答をしなかつた。そこで組合側は昭和三九年一二月二三日から同四〇年二月一六日まで六回にわたる団体交渉に於て国鉄当局に対し右回答を要請したが何等具体的な回答が得られなかつた。

次で同年二月二二日行われた第七回団体交渉に於て国鉄側は前記組合側の要求に対する最後回答として

(1)  昭和四〇年四月一日以降高校卒業者の採用後の給料を月額一、〇〇〇円引上げる。

(2)  その他の給料については第一項との関連で所要の調整を行う。旨の回答をしたのみで他の要求項目について何らの回答をしなかつた。そこで組合側は同年二月二二日、国鉄当局に対して、公共企業体等労働委員会に双方から調停申請をすべく、右申請方を申入れたが申請の意思はない旨の返答を得たので同日組合側は右労働委員会に対して調停申請をすると共に同月二八日第四五回中央委員会に於て、同年三月一七日にストライキを行う、その主たる目的は前記組合の諸要求とし、なお付随的に「合理化反対」、「最低賃金制確立」、「ILO八七号条約批准」、「スト権奪還」の諸要求をもその目的とする旨決定された。

(三)  本件斗争の経過

被告人らを含む動力車労組員らは本部からの斗争指令第二四号に基き南延岡機関区より発機する機関車乗務員らに対して組合の斗争に協力するよう説得するために昭和四〇年三月一七日午前四時過ころから南延岡機関区構内にはいり込み同日午前五時前頃右組合員約四〇〇名が同機関区事務室北側前広場で決起大会を開いたが、その席上で被告人山亀、同森永達夫は木村忠一らと共に、集合した組合員らを激励し合わせて注意事項として斗争時には、暴力行使の疑を受けないため手をあげないこと、行動する場合には常に指揮者の指示に従うこと、スクラムを組むだけにすることを組合員らに指示し、右大会は同日午前五時三〇分頃終了した。その直後右組合員らは五〇~一〇〇名からなる数組の隊に編成され各隊毎に指揮者引卒の下に気勢をあげて構内をデモ行進しつつ構内各所に分散したがその際被告人森永達夫引卒の約四〇名は構内入出区四番線上のC五五二九機関車東側に、同靖夫引卒の約四〇名は右機関車西側に、同車に乗車する際の乗務員説得のためそれぞれ昇降口を中心としてピケ配置につき、他の隊約四〇名は、機関区事務室入口付近に、既に北側向きに並行して並んでいた一般鉄道公安職員に相対して、又他の約五〇名は更に右公安職員の西側に、北側を向いて並んでいた鉄道公安機動隊員約五〇名に相対してそれぞれ同室にて出勤点呼を受けた乗務員が通過することを予想してその説得のためにピケ配置についた。

そこで中野芳明南延岡機関区長は列車の正常な運行状態が阻害されると考えて、右大会の前後である午前四時四〇分頃から同五時三二分頃までの間六回にわたり右組合員らに対し構内からの退去勧告を行つたが応ずる者なく同五時五八分頃木村忠一中央斗争委員、地方評議会の福本増太郎、被告人山亀の三名は同機関区長室に於て、区長中野に対して同日午前六時から八時までの間組合員側が時限斗争にはいるから当局は挑発的な行為はしないようにとの通告をなした。

午前六時頃前記決起大会のあつた広場から機関車東側と給油室、物品授受室間に組合員が移動してその数は約二〇〇名位に達したが右組合員達は機関車の全長位にわたりスクラムを組んで昇降口に立ちふさがつた。

ところでC五五二九機関車の正規の乗務員が出勤時刻である午前六時一二分を五分間経過しても出勤しないので現地対策本部は平坂旅館内の三重野昭平(当時南延岡機関区助役兼務)に対して代替乗務員の出動方を、深田茂幸大分鉄道公安室長に対して乗務員護衛のため公安職員の出動方を各要請したところ、三重野は竹内利雄及び後藤正司にC五五二九機関車の代替乗務を命じ、右両名は右深田室長が平坂旅館に派遣した公安職員一〇名の護衛下に午前六時二五分頃同機関区西側に到着したが右深田は到着と同時に機関区事務室前に整列していた前記公安職員を右乗務員らの周囲に移動せしめて乗務員確保を図り、ここに公安側は機関区事務室西側の前記四番線付近に北側を向いて停止して、機関車東側にてスクラムを組んでいる組合員と相対峙する形となつた。そこで午前六時二五分頃前記機関区長が組合員に対して二回退去勧告をなし次で右深田が二回にわたり五分以内に退去すべき旨スピーカーにて要請したにも拘らず組合側は全くこれに応ずる気配はなかつたので午前六時三二分頃右深田は乗務員を囲んだ四列縦隊の一般公安職員に対して前記組合員列内への突入を、前記公安機動隊員約五〇名に対しその後押しを各命じた。右命に従い一般公安職員が機関車東側昇降口に向つたが組合員らはピケを解かなかつたため右機動隊長前田光雄は後方の公安機動隊員が前方に出て組合員を一人ずつ引抜き後方に送り出す方法を試みた。然し引抜かれた組合員は物品授受室等を迂回して再び同車昇降口付近組合員らの後方についたため右公安職員に取囲まれた乗務員らは昇降口三メートル位手前以上の進行は不可能となつたので右深田は一般公安職員並びに公安機動隊員らに一たん前記停止位置(機関車前側より一〇メートル位機関区事務室寄り)に引下がるよう命じた。右公安職員らが引下がつた直後弁護士吉田孝美、松浦利尚、被告人山亀、同森永達夫らは公安機動隊側に詰め寄つて「組合側にけが人が出た、暴行を働いた公安官を出せ」と云う趣旨の抗議をしたが右機動隊側は何等これに回答することなくかえつて午前六時五八分頃二度にわたり東側組合員に対する退去勧告を行い午前七時三分乗務員に包囲した右公安機動隊を先頭に、東側組合員に対する第二回目の実力行使に移つた。これに対して組合側はスクラムを組んで対抗したが、一般公安職員が右機動隊によつて引抜かれた組合員の迂回を阻止したこともあり午前七時一五分頃公安機動隊側は二人の乗務員をC五五二九機関車に乗車させた。乗務員は右乗車後いわゆる出区点検をして午前七時三〇分頃同所を発車した。右乗務員はその間機関車を降りその周囲を点検して廻つたが組合員はこれに対して何等の妨害も加えず却つて被告人森永達夫は右機関車出区に際し線路側面に並列している組合員に対し更に一メートル後退するよう命じている。

以上のような事情で右C五五二九機関車がけん引する九一二列車は南延岡駅を所定出発時刻に四三分遅れ午前七時五五分に出発した。

証拠別紙の通り

以上認定した事実に基き当裁判所は次のように考える。

被告人らの行為は団体の威力により列車を遅延させたもので威力業務妨害罪の構成要件に該当する。ところが被告人らの本件行動は国鉄動力車労働組合の指令に基く争議行為である。而て公共企業体の職員の争議行為に対してもそれが正当なものである限り労働組合法一条二項の規定の適用があるものと解する。そこで正当性について判断するに、先づ被告人らがピケを張つた目的が乗務員の乗車を妨害するにあつたか説得にあつたかの点である。

乗務員が乗車するにあたり組合員と公安機動隊員、一般公安職員との間に混乱が起り乗務員の乗車が遅れたことは前に認定したとおりである。右混乱は次のような事情に基くものと考えられる。被告人らはC五五二九機関車の乗務員を争議に参加させるため説得を試みたいと主張してピケを張つていたところ当局側は乗務員の乗車を妨害するものと考え当初から一般公安職員によつて乗務員を厚く取囲み組合員を近づけず両者の対話の機会を与えないで右機動隊員によつて実力行使に及んだためである。若し当局側が右の様な態度に出でず話合の機会を与えていたならば或は混乱は起らず乗務員を早く乗車させていたかも知れない。このことは乗務員乗車後組合員のとつた態度によつても充分推察される。即ち組合員は乗務員が機関車に乗車し争議に参加する意思がないことが明らかになつた後はその業務の妨害をしようとすれば妨害する機会が充分あつたと考えられるにも拘らずこれをしていないのである。加うるに機関車の発車に際しては邪魔をしないよう協力している。

この点から考えて被告人らのピケは業務を妨害する目的でなされたものではないと認めるのが相当である。

次に被告人ら組合員に暴力の行使があつたかどうかについて考えるに機動隊員の実力行使に対し組合員が抵抗し混乱のあつたことは既に認めたところであるけれども右組合員の抵抗はあくまで消極的なもので積極的に暴行に及んだと認めるに足る証拠はなくかえつて被告人ら組合幹部は暴行事件の発生をおそれ「手を身体より前に出すな」とか「当局の挑発に乗るな」とか言つて常に組合員に注意を与えていたことが認められ右消極的抵抗即ち機動隊員の所謂ゴボウ抜に対し抜かれまいとして抵抗する程度では未だ労働組合法一条二項の暴行の行使には該らないと解すべきである。

その他正当でない争議行為と考えられる点はない。

以上により被告人らの本件争議行為は正当なものと云わなければならない。

然らば右法条の適用を受け被告人らの前記威力業務妨害の行為は違法性を阻却されるから刑事訴訟法三三六条前段により無罪の云渡をする。

(別紙は省略する。)

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